卒業50周年記念同窓会





 高校卒業50年を記念して母校に86人が集まりました。以下の報告は、幹事一同中で最強のライター、東山武嗣君がまとめてくれたものです。集合写真以外に全部で500枚程度の写真(集合写真以外は全部デジカメで撮影したもの)が集まりましたが、同窓生全員に全写真を一枚のCD-ROMに詰め込んで配布しました。「こんなことができるようになったのも、我々の学生時代には夢にも考えられなかったこと、長生きはするものだ!」とは、ある同窓生の呟きでした。

 以下、東山レポート

 卒業50周年記念旅行、実は3年前から計画を始めました。誰が言い出したということもなく、気がつくと何人かの同志が集まり準備委員会(?) が立ち上がっていました。われわれの学年同窓会、それまでにも折をみて二、三年に一度くらいの間隔で開かれてはいましたが、出席者は多くても40〜50名、その顔ぶれも毎回あまり変わらないのが実情でした。それまでは同期の仲間の多くがまだいわゆる現役時代、会社勤めなどに忙しく気軽に時間が取れなかったという状況だったのです。
 節目の50周年、リタイア組も増えたはず、盛大な同窓会を成功させたい。準備委員会が動き始めました。もちろん議事録などあるわけもなく、もう今では正確な回数や日時などはわかりませんが、その間何度も幹事会が開かれたことは憶えています。その場所は、西は加古川・神戸から東は奈良・京都まで出席幹事の顔ぶれで決めました。もっとも幹事会といっても中身はご想像の通り、実は呑み会、なんだかんだと名目をつけては、 われら9期会会長 O君を中心に5〜6人が集まって騒いでいただけですが。
 呑みながらも話は着実に進みました。季節はいつか、どんな形態がいいか、呑めば呑むほど議論百出、なかなか結論には至りません。われわれ幹事だけで決めるのは無理、みんなの意見を聞いてみるしかない。そこでまず同期生全員にアンケートを配り希望を尋ねることにしました。
 しかし結果は見事に失敗でした。集まった意見はてんでばらばら、春だの秋だの、神戸がいい大阪がいい、いやぜひ関東で、いっそ海外旅行はどないやなど、パソコンを駆使してデーター分析を試みましたが、とてもじゃないが収拾不可能、統計上の有意な結論は何ら得られませんでした。
 でも思わぬ収穫もありました。送ったアンケートのうち何通かが「転居先不明」で舞い戻ってきました。その当時の最新の名簿を頼りに郵送したのですが、それでもかなりの数の異動・不明が発生していました。これまでならそこで諦めたところ、今回は違いました。幹事の一人U君がこれに挑戦、執念深く徹底的に追跡調査をやってくれたのです。ちょうどその頃立ち上げていた同期生のメーリングリスト(NADA9) もフル活用、ほかの仲間たちの協力もあって、一部を除きほぼ全員の消息が判明しました。現在の状況で申しますと、卒業生205名、物故者24名、消息不明10名です。海外在住者も5名を数えますが全員連絡は可能です。また消息不明者の追及は現在も続行中です。
 それらの返事の中で、50周年はまだ2年も先、それまで待てんでという気の短いのがありました。たまたまその頃何人か同期仲間の訃報が続いた・・・、というわけではないとは思いますが、それに賛同者が増えました。そのため昨年5月急遽、『プレ50周年同窓会』を「ラマダホテル大阪」で開く仕儀となりました。結果は「プレ=前年祭」にもかかわらず、参加者71名はそれまでの最大、慌しい準備の割には予想以上の大盛況でした。
 プレで71名、本番は100人を超えるか。いやいや次は初めての一泊旅行、時間も費用も掛かる、50人以下かも知れん。参加者の数がまったく読めぬまま強気と弱気が交錯、不安のうちにプロジェクトを進めるしかありません。幹事会と称する呑み会がまた繰り返されることになります。幹事の資質で一番大事なのは体力、中でも肝機能が人一倍強いことは不可欠条件か。そんなことを改めて確認、文字通り肝に銘じた一年でした。
 日程・行程の決定、旅行社・バス会社との折衝、予算組み、名簿の再精査、発起人グループの選出・依頼、案内状の作成・発送、返信はがきの整理・集計。おまけに前もっての予告案内まで、準備の一年は今から思えばあっという間でした。
 その日、集合は母校、午後2時と決めました。いろんな事情で一泊全行程は無理だがせめて母校の集会だけでもという8名を含め、最終的には86名が集まりました。半世紀ぶりの劇的再会もあって感慨のひと時。海外からも3名がこれに合わせて一時帰国するという一大イベントの始まりです。和田校長から灘中高の羨ましい現状、将来の明るい展望など、楽しくも頼もしい講義を受けた後、午後3時、バス2台に分乗していよいよ出発。小雨の中、全校生徒の見送りを後に(これは嘘)、わくわくしながら西に向かいました。
 さてバスの中では・・・・・。
 この続きは、ご想像にお任せします。すっかり50年前に帰って、楽しい2日間を過ごすことができました。帰りのバスの中で、次は3年後と約束しましたが、それまで待てんでとの声が早くも聞こえて来ています。誰か次回幹事の名乗りを上げてくれませんか。出来ればその際、健康診断書も忘れずご用意いただけると有難いのですが。

(集合写真撮影:中嶋靖)



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2008-01-19 初版