吉林省西部地区(日本から見ると北朝鮮の裏側に相当)は人口の約半分が朝鮮族の自治州,道路標識から,お店の看板まで全て朝鮮語と中国語の2ヶ国併記が法律で義務づけられています。
州都の延吉ではタクシーに乗ってもお店に入っても,最初は朝鮮語(ここでは当然でしょうが,韓国語とかハングルという言い方はしません)で話しかけられます。最初の写真は 延吉駅,中国語では「イエンチー」だが,朝鮮読みの「ヨンギル」の方が通りがよい。
列車は大連から23時間かけてやって来た長距離列車,心配していたが正確に時刻通り延吉駅に到着した。
最近は随分改善されたが混雑は相変わらずで,窓から荷物を放り込んで席を取るなど生存競争はかなり厳しい。
中朝国境,朝鮮語で「国境:朝鮮,南陽;中国,図們」と書いてある。
橋の真ん中が国境線で,一定の料金(日本円換算で500円弱,現地の大卒の初任給が一万円もない事を考えるとべらぼうに高い)を払うと橋の中央の国境線まで行かせてくれ,そこにはサービス精神よろしく北朝鮮の国境警備隊がのぞける固定双眼鏡が設置してあった。
私たちが滞在した30分ほどの間に国境を越えて向こうに行った人は約10人,向こうから来た人が4人,通ったトラックが1台,橋の中央まで行った韓国人の観光客が約50名,中国人観光客約20名,日本人は2名(家内と私)であった。
図們の街にはタクシーもあるが,今でも主要交通機関は自転車に繋いだ人力車,一人一元(約13円)で市内なら行ってくれる。
気温は約30度あったが,乾燥していて幌の陰では微風が気持ちよい。
図們の街から北朝鮮との国境沿いに車で走る,豆満江の川幅は100メートルもなく私でも泳いで渡れるほど,冬には結氷するので「出入り自由」に近い環境になる。対岸で子供が遊んでいるのが見え,政治的な問題がなければとても異国とは言えないだろう。
タクシーで走ること約30分,典型的なこの地方の農村(水口村)を訪ねる,農家のお婆さんがトウモロコシと庭で取れたスモモをご馳走してくれた。
水口(滋賀県から来た人間には親しみの持てる地名だ)はここでは無論「みなくち」ではなく,中国読みの「シュエイコウ」でもなく,「スク」と読む。
この旅行記は2000年8月初旬に友人の結婚式に招かれて出かけたときのものです。
外国人ながら少数民族の結婚式(新郎が朝鮮族,新婦は華中出身の漢族)に出席させていただき,更に式の後自宅に帰り親戚が集まって延々と続く2次会も経験させて貰いました。
そこでは,たまたま知っていた朝鮮語の歌「故郷の春」と片言しゃべれる朝鮮語が役に立ちました。
子供の頃吉林省に住んでいたため自分にとっては懐かしく,同時に親しみの持てる土地,北海道とほぼ同等の気候で我々にとって夏は極楽,食べ物は安くて美味しく,貴重な「里帰り」の旅になりました。